なぜ一里は一里なのか?
ところで一里。
一里って何キロだったかみなさん覚えていますか?
一里=4Kmですね.
日本の単位って、なんだか、中途半端で使いづらいですねえ・・・
でもちょっと考えてみてください。
人間が歩くには、1時間(=半時)に、一里(4キロ)がちょうど良いんです。
歩くことが人間の移動手段の根幹ですから、
ゆえに、このモノサシは、とても理に適っている
のです。
そう考えると逆に、1時間で“4”Kmというのは、
なんだか中途半端ということになります。
もともと日本には身体感覚に密接に関わる尺度がいろいろとありました。
それは文化のあり方として、とてもまっとうなこと。
日本の尺度は、中途半端なのではなく。
そういう素晴らしい文化を、我々は近代化の名の下に、
自ら手放してしまいました。
ところで。
「尺度」というものを、相手にあわせたらどうなるか?
確かに文化を吸収するには都合が良いでしょう。
しかし、「モノサシ」を相手にあわせると、物事の「基準」は
相手に奪われます。
よくスポーツの世界では、日本人が活躍するとルール改正されてしま
いますよね。
勝負に勝つには、まず、そもそもの基準から変えてしまう。
実際、ビジネスの世界でも常にいろいろと仕掛けられています。
「国際規格」というのは少なからずそういう側面を持っています。
日本人は、この辺りには鈍感なような気がします。
もはや、重量や距離の単位を昔に戻すわけにはいきませんが、
これから先、
モノサシを簡単に相手に譲らないこと
できれば、
こちらがモノサシを作ってしまう。
基準を作ってしまう。
この発想が大事ではないかと。
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最後にもう少し身近な話しをひとつ。
ある下請けメーカーさんでの話。
いろいろな会社からオーダーを言われるがまま受けている中で、
ものすごい多品種・少量対応で頑張っている。でも儲からない・・・
そこで各社まちまちだったサイズなどをできるだけ取りまとめて、
「既製品」「標準品」「規格品」を独自に作りました。
新たな顧客からの依頼に対し、まずそのサイズ表を見せて
そこから選んでもらうことから商談をスタートするように変更。
すると、「じゃ、それでいいよ」と言ってくださる顧客が意外と
多く出てきて、生産効率が大幅に改善。
そういうことがありました。
モノサシを提示できるようになると、
実際、儲かるようになります。